歴史のみなと

幕末明治大正昭和の博物館展示案内と史跡観光旅行とその時代や人物の逸話や本の紹介をしています。

2020年02月

2019年12月に神奈川県大磯にある旧吉田茂邸に行ってきました。
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県立大磯城山公園の一部なのですが、結構大きいので公園の半分って感じです!

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門を入ると葉巻を加えた吉田茂のパネルが迎えてくれます。
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受付にはポストカードなどが売っています。

七賢堂に飾られた吉田茂七賢人の面々は、大久保利通、伊藤博文、西園寺公望など幕末明治が好きな方にはお馴染みの顔が並んでいます。

こう見ると、吉田茂って昭和の人という印象なのだけど、やっぱり明治からの人なんだなぁとしみじみ感じます。

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旧吉田茂邸です。少し小高い場所に建てられた立派なサンルームのあるお家です。

ここまでは無料で見られます。
中を見るには観覧料が必要です。

観覧料は一般500円、中・高校生200円でしたが、2020年3月からは上がるそうです。

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入ってすぐにコインロッカーがあるので荷物が多い人でも安心。

まず最初に、写真の並んだケースや当時使われていた暖炉やソファなどがあります。
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お風呂が舟型で可愛い。

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2階に上がると、サンルームが見えます。

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この小さい書斎いいなぁって思いました。
掘りごたつでのんびり過ごせそう。ここに電話置いたのわかります。

見えないところに本棚があるのですが、自分もここに暮らして半年くらい、ここにある本を読むだけの生活したい……。

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写真とかパネルの展示もたくさんありました!
写真だからどれくらい撮っていいのかなと迷って、あまり撮らなかったのですが、和服からスーツまでいろんな姿、場所の吉田茂の写真がありました。

自分にとっては歴史の人ですが、他にいらしてる方は高齢の方も多く、懐かしく昭和の写真を見てらっしゃったようです。
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伊藤博文の手紙がありました!!
吉田茂邸に来て、これが見られるとは嬉しい誤算です。

手紙の解説文も置いてありました。親切。

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そして、小高い所に建ててあるため、眺めがとてもいいです。
在りし日の吉田茂はここから景色を見て、思いを馳せたのでしょうか。

二階の金と銀の部屋は吉田茂が来日した外国人のために作ったのだけど、日米安保とかが重なってなかなか人が来なかったそうです。

ちょっとそれを聞いて悲しくなったのですが、親のその後、話したときに「他の人はともかく吉田茂は一番狙われる立場だからね」と聞いてなるほどと思いました。

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横浜市金沢区野島公園そばの旧伊藤博文金沢別邸に行ってきました。

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平成の頃に出来たのは知っていて、行こう行こう思っていてはや10年。
やっと行くことが出来ました。

行く前はてっきり展示のようなものはないのかなと思ったのですが、予想外に色々展示があり、自分のテンションが格段にアップです。

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平面図と共に説明が書かれていたり。(この図はパンフレットにも載っています)

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伊藤博文に影響を与えた人々の写真と説明があったり。(個人的には長州ファイブの井上勝の写真がカッコよかったです!)

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年表と共にある小ネタも楽しかったです。
ちなみにバザーは鹿鳴館の前、明治10年代前半にもあり、当時の新聞によると、伊東巳代治たちはバザーの陳列に駆り出されています。

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横浜開港資料館にある明治憲法草案の複製です。


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こちらはお風呂になります。
湯舟自体はそれほど大きくないですが、湯殿は大きめです。
廊下を通って、脱衣室があって、湯殿があって、裏側に釜揚があります。

ここに湯殿小話が書いてあったので、明治時代の湯を知るために簡単に説明を。
明治40年の改造で地元産の土丹石と呼ばれる泥岩を敷き、セメントと御影粉を作って人工御影塗りで仕上げたそうです。

お風呂は船大工に作らせたサワラの板風呂。煙突と釜とすのこも新調したそうで、お風呂の手前にあるのがすのこです。
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お手洗いは左が大、右が小とわかれています。

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廊下から見える小さなお庭。
他にも調理場とかも見られますし、晴嵐の間には明治憲法関連の資料展示、その廊下には伊藤博文関係の展示、夕照の間には伊藤博文由来のものがあり、秋月の間には伊藤家の話などの展示がありました。

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秋月の間にある写真集。
遺影と言っても亡くなった時の写真ではなく、若い頃からの写真です。
長崎滞在時の写真とか、秦野煙草専売局の視察とか、長春での晩餐会とか見たことがない写真もあって楽しかったです。

紅葉館で行われたシュタイン博士の追悼会の写真もあったのですが、居並ぶ人々の中で伊東巳代治だけすごく若い。この頃もう大日本帝国憲法が出た後で30代のはずなのですが、髭がないのもあって20代に見えます。

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帰帆の間ではお抹茶とお菓子がいただけます。
お菓子は「内川暮雪」という歌川広重の金沢八景の名前のついたお菓子でした。

ちなみに各お部屋も乙艫帰帆、洲崎晴嵐、瀬戸秋月、野島夕照と金沢八景から名前が取られているようです。

抹茶とお菓子のセットで600円でした(2020年2月現在)

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海苔の向こうに八景島シーパラダイスが見えます。

この伊藤博文金沢別邸は明治憲法を作った時とは違う場所、違う建物です。
ここは野島ですが、憲法が作られたのは夏島で、建物の形も違います。

夏島の建物は、明治22年に夏島に砲台築造が始まったため、小田原緑町に移築して、伊藤博文の父・十蔵の住まいとしています。

でも、大日本帝国憲法を作る際、夏はいつも泳いでいたという海は一緒かもしれない……と思うと、テンションが上がってきます。

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海側の道に回るとこんな風に伊藤博文金沢別邸の全景が見えます。

このすぐ裏に駐車場があるので、歩くのが苦手な方も行きやすいです。
ただし、野島に入ると急に道が狭くなるのでお気をつけて。

伊藤博文金沢別邸は牡丹園が見事で、春には美しい牡丹が咲き乱れます。
牡丹園はかつて野島にあった永島家の牡丹園を復元したものです。

伊藤博文自身は園芸などに興味がなく、盆栽好きだった伊東巳代治から見ると「如何にも枝幹の美事な盆栽でも路邊の断木と異ならない」という様子でしたが、よく転居するので「新築好き」と言われるほど家を建てるのは好きでした。

ただ、伊藤博文は美麗な家を建てるのではなく、手早く作られるの好きで、質素な建物ばかりです。
伊藤博文の大磯別邸『滄浪閣』も「田舎の役所か郵便局」と評されていましたが、質実を好む伊藤らしく、この金沢別邸も和風平屋茅葺屋根の落ち付いた建物になってます。

明治31年にこの別荘を作ってからは伊藤はそれほど建築をしなくなりました。
『滄浪閣』とこの金沢別邸が気に入って、落ち着いたのかもしれません。

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このブログはカクヨムpixivなどで歴史ものを書いているみなとの執筆報告ブログです。

なかなかネット小説で史実系の歴史ものというのは見ていただけないので、どなたかのお目に留まるとうれしいなぁと思って作りました。

作品更新報告ばかりになってしまいますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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