西村京太郎さんは東京陸軍幼年学校で終戦を迎えます。
東京新聞の「この道 西村京太郎」で西村さんはその頃のことを語っています。
西村さんによると、東京陸軍幼年学校は掘の外で空襲と飢餓におびえる市民とは別世界だったそうです。
「そんな空気の中で、唯一、私を苦しめたのは、十代の少年たちが、集団生活を送ることで生まれてくる一種の性意識だった。それを、陸幼の先輩は、時には「稚児さん」と呼んで、隠そうとせず自慢したりもした。終戦時の阿南惟幾陸軍大臣は、伝記の中で陸幼始まっていらいの美少年と書かれている。稚児さんの美しさの事である。私も、入校一カ月あたりから、仲間(戦友と呼んだ)の少年に、美しさを感じて、狼狽した。」
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東京新聞の「この道 西村京太郎」で西村さんはその頃のことを語っています。
西村さんによると、東京陸軍幼年学校は掘の外で空襲と飢餓におびえる市民とは別世界だったそうです。
「そんな空気の中で、唯一、私を苦しめたのは、十代の少年たちが、集団生活を送ることで生まれてくる一種の性意識だった。それを、陸幼の先輩は、時には「稚児さん」と呼んで、隠そうとせず自慢したりもした。終戦時の阿南惟幾陸軍大臣は、伝記の中で陸幼始まっていらいの美少年と書かれている。稚児さんの美しさの事である。私も、入校一カ月あたりから、仲間(戦友と呼んだ)の少年に、美しさを感じて、狼狽した。」
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